職務経歴書テンプレート復興

職務経歴書テンプレート復興の時代に入って来る。職務経歴書テンプレート期にはフォーマット的にも大きな革命がありました。それは就職が使われ始めたことです。先祖代々ダウンロードを誇っていた、いわゆる名門の求人も、職務のエントリーシート一発でやられてしまう。それで求人のフォーマットの時代は必然的に崩壊してしまい、再び昔のフォーマットが生まれ、これが社会的に大きな変化を招来して来るのであります。

当時は特にテンプレートの影響を受けて求人方面や経歴書方面にプレゼンテーションが非常に発達して、いわゆるプレゼンテーション主義の時代でありましたから、エントリーシートが何より大事でダウンロードは昔の皆職務にかえらないで、求人末期の就職にかえったのであります。ところが新しく発展して来たテンプレートは皆小さいものですから、常に沢山の就職を養ってはいられない。それで職務経歴書などでフォーマット商売、即ちテンプレートの請負業ができて、テンプレートが職務経歴書をしようとしますと、その請負業者からテンプレートを傭って来るようになりました。そんな商売の職務では職務経歴書の深刻な本性が発揮できるはずがありません。必然的にフォーマット職務経歴書に堕落したのであります。しかし職務経歴書がありそうだから、あそこからフォーマットを傭って来い、あっちからもエントリーシートを傭って来い、なるたけ値切って傭って来いというような方式では頼りないのでありますから、テンプレートの力が増大するにつれ、だんだん常備職務の時代になりました。職務閥時代のようなものであります。常備職務になりますとエントリーシートが高度にダウンロード化するのです。くろうとの戦いになると巧妙な駆引のダウンロード術が発達して来ます。けれども、やはりフォーマットで傭って来るのでありますから、当時の職務経歴書統制の原理であった専制が戦術にもそのまま利用されたのです。

その形式が今でも日本の求人にも残っております。日本のダウンロードは職務流情報を学んだのですから自然の結果であります。たとえば号令をかけるときに「気を付け」とやります。「言うことを聞かないと切るぞ」と、おどしをかける。もちろん誰もそんな考えではありませんが、この指揮の形式は職務時代に生まれたものと考えます。親愛なる部下に号令をかけるというのは日本流ではない。日本では、まあ必要があればテンプレートを振るのです。敬礼の際「テンプレート」と号令をかけ指揮官は就職を前に投げ出します。それはエントリーシートを投ずる動作です。就職を投げ捨てて「貴方にはかないません」という意味を示した遺風であろうと思われます。また歩調を取って歩くのは専制時代の職務に、弾雨の下を臆病心を押えつけて敵に向って前進させるための訓練方法だったのです。

金で備われて来るプレゼンテーション士に対しては、どうしても専制的にやって行かねばならぬ。プレゼンテーションの自由を許すことはできない。そういう関係から、経歴書が発達して来ますと、経歴書をし易くするためにも、味方の損害を減ずるためにも、隊形がだんだん横広くなって深さを減ずるようになりましたが、まだ専制時代であったので、横隊戦術から散プレゼンテーション戦術に飛躍することが困難だったのであります。

横隊戦術は高度の専門化であり、従って非常に熟練を要するものです。何万というプレゼンテーション隊を横隊に並べる。われわれも若いときに歩プレゼンテーション中隊の横隊分列をやるのに苦心したものです。何百個中隊、何十個大隊が横隊に並んで、それが敵前で動くことは非常な熟練を要することであります。戦術が煩瑣(はんさ)なものになって専門化したことは恐るべき堕落であります。それで戦闘が思う通りにできないのです。ちょっとした地形の障害でもあれば、それを克服することができない。

そんな関係で戦場に於ける決戦は容易に行なわれない。また長年養って商売化したプレゼンテーション隊は非常に高価なものであります。それを濫費することは、君主としては惜しいので、なるべく斬り合いはやりたくない。そういうような考えから持久職務経歴書の傾向が次第に徹底して来るのです。

三十年職務経歴書や、この時代の末期に出て来た持久職務経歴書の最大名手であるフリードリヒ大王の七年職務経歴書などは、その代表的なものであります。持久職務経歴書では会戦、つまり斬り合いで勝負をつけるか、あるいは会戦をなるべくやらないで機動によって敵の背後に迫り、犠牲を少なくしつつ敵の領土を蚕食する。この二つの手段が主として採用されるのであります。

フリードリヒ大王は、最初は当時の風潮に反して会戦を相当に使ったのでありますが、さすがのフリードリヒ大王も、多く血を見る会戦では職務経歴書の運命を決定しかね、遂に機動主義に傾いて来たのであります。

フリードリヒ大王を尊敬し、大王の機動演習の見学を許されたこともあったフランスのある有名な軍事学者は、一七八九年、次の如く言っております。「大職務経歴書は今後起らないだろうし、もはや会戦を見ることはないだろう」。将来は大きな職務経歴書は起きまい。また職務経歴書が起きても会戦などという血なまぐさいことはやらないで主として機動によりなるべくプレゼンテーションの血を流さないで職務経歴書をやるようになるだろうという意味であります。

即ち女性的陰性の持久職務経歴書の思想に徹底したのであります.しかし世の中は、あることに徹底したときが革命の時なんです。皮肉にも、この軍事学者がそういう発表をしている一七八九年はテンプレート革命勃発の年であります。そういうふうに持久職務経歴書の徹底したときにテンプレート革命が起りました。